私が育った時代

今日は4月27日(土)。昨日、3週間ぶりに東京都町田市の自宅に戻ってきました。あと数日で平成が終わろうとしています。世の中「平成最後の・・・」というフレーズが大流行りですが、いま書いているのは「平成最後の私のブログ」になるのかもしれません!(笑)

さて、前回のブログで「この時代の子育てについて」というシリーズをスタートさせました。今回はその2回目になりますが、この時代の子育てについて語るためには、私たちをとりまく環境や社会が、今と昔ではが何がどのように違ってきているかを比較してみる必要があると私は考えます。

シリーズ/この時代の子育てについて(第2回)

私は、昭和31年(1956年)に生まれたので、5月1日まであと数日生きているなら昭和、平成、令和の3つの時代を股にかけることになるわけです。実に感無量です! とりわけ子供の頃を過ごした昭和の時代は、私にとって特別に思い出深いものがあります。私が生まれた昭和31年といえば、なんとまだ太平洋戦争が終わってから11年しかたっていませんでした。そのため戦争のことを語る人々が周りにはたくさんいました。両親からは戦争中の食糧難のことを何度も聞かされました。学校でも戦争のことを授業中によく聞かされました。家の近所を歩くと、地層がむき出しになっている崖には防空壕がまだいくつも残っていて、真っ暗で不気味な入り口が開いたままになっていました。幼い私は怖くて一度も中に入ることをしませんでしたが、戦争中は空襲警報が鳴り響くと人々がみんなその中に逃げ込んだことを聞かされました。

私が生まれたのは横浜の中心地から20キロも内陸に入り込んだ小さな町でした。国鉄(いまのJR)横浜線の中山駅が最寄駅で、私の記憶では時々黒い煙を吐く蒸気機関車が停車していました。それでも戦後の復興の速度は驚異的で、横浜の中心地である横浜駅周辺にはデパートや洒落たお店が次々にオープンしていきました。休日にもなると多くの人々が行楽気分でショッピングに繰り出しました。我が家もその例外ではなく、給料日直後の日曜日には家族そろってよく横浜駅に出かけました。

横浜駅は西口と東口がうす暗い地下道つながっていて、そこを通り抜けるときには、戦争で足や腕を失った元兵隊さんが壁を背にして地ベタに座り込み、小銭を施してもらうために空き箱を前に置いてハーモニカを吹いたりアコーディオンを弾いたりする姿をよく目にしました。ショッピング客の往来で活気溢れる横浜で、一日中冷たいコンクリートの地ベタに座って物乞いをしている人の過酷な生活を思うとき、子供ながらにとてもいたたまれない気持ちになったものです。でも、暗い地下道を抜けて外に出ると私はそれをすっかり忘れて期待で胸が高鳴りました。親のショッピングについて来ても特に何か買ってもらえる訳ではありませんでしたが、そこには特別な楽しみが待っていたからです。当時、そのデパートの屋上にはなんと小さな動物園があったのです。しかも、買い物が終わって家に帰る前には、店内の洒落たレストランに入って軽食を食べるのが我が家の習慣でした。わたしは、決まってホットケーキ(パンケーキ)を頼みました。3段重ねのホットケーキの上に白いクリームが乗っていて、さらにそのクリームに囲まれた真っ赤な缶詰のさくらんぼ、そして真ん中にはつま楊枝で作った小さな日の丸の旗が刺さっていました!  そんなことが、何よりも楽しかった時代でした。

戦後間もない時代、家庭にはテレビもまだなかったような時代に私は生まれました。親たちは一生懸命働いて、少しでも豊か生活を夢見ました。やがて次々に便利な家電が一般家庭にも備わっていきました。ただし、今とは違い、例えば洗濯機ひとつとってみても、当時は洗濯物をただモーターの回転で渦を作って洗うのみで、洗った洗濯物は洗濯機にの上部に取り付けられたゴム製の2本のローラーの間にはさみ込み、横のハンドルを手で回してローラーを回転させることで水をしぼられて板状にのされた洗濯物が出てきて下のカゴの中に落ちるという極めて原始的な機械でした。それでも、洗濯物を一枚ずつ洗濯板で洗っていた時代からすれば、主婦たちにとってどれほど大きな助けになったことか。当時の人たちはそうした新しい家電が出るたびに、一生懸命働いて買い揃えていったのです。

さて、世の中がどんどん豊かになり急速に便利になっていく時代でしたが、それでも今とは比較にならないほど何をするにも時間と労力がかかりました。だから、親たちは子供たちにも家族の一員として様々なお手伝いをさせました。遊びたいさかりの子供たちにとって、それは決して嬉しいことではありませんでしたが、しかしお手伝いをさせられることで、いろいろな技術を習得し、忍耐力や責任感を養われ、やがて自立していくために必要な能力を身につけることにつながりました。さらに、親に褒められたり頼りにされたりすることを通して、人のために働くことの素晴らしさを経験しました。その経験を積み重ねていくことで、やがて自分の持って生まれた個性や能力に磨きをかけて、将来どんな職業について人のために貢献していくことができるだろうかと考えるように導かれたのです。

でも、今の時代はどうでしょうか。家の中はあまりにも便利なもので溢れています。親たちは、わざわざ子供の手を借りなくてもすむようになりました。いえ、子供にお手伝いをさせるには、まず時間をかけてやり方を教えなければなりませんから、そんな面倒なことをしない方が手間が省けるでしょう。そんなわけですから、子供たちがお手伝いをする機会はすっかり失われてしまいました。実は、それが子供の成長にとっては大きなマイナス要因になるということを、今の若いお父さんお母さんたちは恐らく気づかずにおられることでしょう。(続く)

Comments are closed.