今日は5月9日(木)。前回は平成最後のブログでしたが、今回は令和最初のブログです。、、、と私のiMacで「れいわ」と入力すると、ソフト内の辞書に令和がまだ登録されていないらしく、「例話」とか「0話」とか出てきて「令和」は出てきませんでした。とても面倒なことなので、たった今「令和」を辞書登録しました!(笑)
改めまして、皆さん、ゴールデンウィークはいかがでしたか? 世の中、10連休が大いに話題になりましたが、私の場合は決してゴールデンな日々ではなく、毎日いつもどおりに仕事をして過ごしました。特に、日頃後回しになっていた仕事の処理で、かえって忙しかったくらいです。そんなわけで、連休が明けて少しホッとしているとこです。
さて、去る4月8日に「シリーズ/この時代の子育てについて」をスタートしまして、今回はその第3回目を書こうと思います。最初にお話ししたように、今の子育てを語るには過去との違いについて、特に若い親御さんたちには知っていただく必要を感じますので、今日も昔にさかのぼって、まるで自叙伝を書くような気持ちで書きますが、それも含めてどうぞお読みください。
シリーズ/この時代の子育てについて(第3回)
私が子供だった頃、日本はいわゆる高度成長期の真っ只中でした。働けば働くだけ生活が豊かになる時代で、夢や希望であふれていました。そんなわけで親たちは家族のより良い暮らしのために毎日忙しく働いていました。当時はまだ週休二日制などという労働環境は耳にしたこともなく、ほとんどの人にとって休みは日曜日だけでした。それでも今と比べたら子供は自分の親を今よりもっと身近に感じていたと思います。その一番大きな理由のひとつは、家族で一緒に食事をする回数の多さでした。特に夕食について言うなら、どこの家庭も毎日同じ時間がくると家族全員が食卓についたものです。私の家では夜7時でした。時々、母がうっかり炊飯器のスイッチを入れ忘れて大幅に遅れるということもありましたが、それは特別な例外でした。
食事が始まれば、かならず会話が生まれます。それぞれ1日の話をして盛り上がり、子供たちは両親の会話から親の知恵や価値観を吸収し、仕事や大人社会の難しさを学んだりもしました。親たちは、子供たちの状況をそこで知ることができました。友達とうまくいっているか、授業にはついていけているか、今どんな趣味に夢中になっているか等々、いろいろなことが家族が食卓を囲むことで得られたわけです。また、別の角度から見れば、こうした家族の団欒をとおして、子供たちは親の愛情を吸収し、親子関係が深められて行ったのです。そして、自分を愛し期待してくれている親に対して「その思いに応えなければいけない」という気持ちを抱いたものです。でも、今の時代、家族で食事を共にする機会がどんどん減少してきているのです。なぜでしょうか。それは、同じ時間に食事をすることを妨げるものがこの時代にはあふれるようになったからです。
想像してみてください。ある家庭で、現代のお母さんが、子供部屋のドアの前でこう言います。「ご飯できたから出ておいで~」と。すると中から声がします。「え~! だってまだいいところなんだもん!」子供はゲームやスマホに夢中です。仕方なくお母さんはまたしばらくしてから声をかけますが、返事は同じで「まだいいところ」です。お母さんがせっかく料理を作ったのに、このままでは冷めてしまいます。すると、部屋の中からまた声がします。「いいよ、まだお腹空いてないし、あとで自分でチンして食べるから!」
これは、子供に限ったことではあません。もしかしたらお父さんは残業で遅く帰ってくるかもしれないし、お母さんも共働きで、子供の夕食の時間には戻れないかもしれません。そうなると子供だけでお母さんが用意しておいたものをチンして食べたり、もしかしたらお金をもらってコンビニで買ったものを食べたりするのかもしれません。それだけではありません。仮に家族が同じ時間に食卓についたとしても、会話らしい会話が生まれないケースも珍しくなくなってきました。家族の団欒をスマホの着信音が台無しにしてしまうからです。最近は幼い子供たちへのスマホの普及率が驚くほど高まってきています。「食事中くらいやめなさい!」と言ってもなかなか言うことをきかないし、第一、指導するはずの親たちが食卓でラインのやり取りに夢中になる家庭も増えているのです。当然の結果として、親子の会話は減少し、親子関係は貧しくなり、子供たちは親の愛や価値観を吸収する機会をどんどん失ってしまうのです。それは、子供の心に必ず悪影響を与えます。
児童発達心理学者であり、私の番組の元になったファミリーコラムという番組の話し手でもあったDr.ドブソンは「週に5回以上、家族で食事を共にする家庭はそれ未満の家庭と比べて、子供が非行に走る割合が極端に少ない」という調査結果についてしばしば言及されました。たかが食事と思われますか? いえ、食事は人間関係を豊かにするために欠かせないのです。例えば、ラブラブの男女はしょっちゅう食事を共にします。会社でも社員同士が食事を共にしたり、一緒に飲みに行ったりします。ママ友たちもお茶やランチを共にしたりします。それは、すべて人間関係を豊かにし、維持するために大きな力を発揮することを知っているからです。また、そうすることで幸せな気持ちになれるからです。だとしたら、家族だって親子だって同じことが言えるのです。食事を共にすることで家族の絆が強められ、幸せな気持ちに包まれ、子供たちは成長に必要な愛情や知恵を親から吸収していくのです。そうなれば非行が起こりにくくなるのは当然の結果です。
残念なことに、かつては「子供は親の背中を見て育つ」と言われた時代がありましたが、今や親の姿を見る代わりにゲームやスマホの画面を見て育つ時代になっているのです。こうなると「教えているのは誰ですか」という問題が出てきます。それは親ではなく電子機器の画面だということができるでしょう。そして、さらに深刻なのは、画面を通して教えられる中身です。一体それは、親の愛情があふれるものでしょうか。倫理的に望ましいものでしょうか。子供たちの心を励まし、自分の持って生まれた能力を努力して伸ばしていくように教え、人を思いやる心を育て、他の人に役に立ち、世の中に貢献するような人へと成長させてくれるものでしょうか。残念ながら、特に多くの男の子たちが夢中になるゲームのほとんどは、敵を倒すことを教えるものばかりです。
こういう時代ですから、若いお父さんお母さんたちには、何もせずに時代に流されるのではなく、積極的に子供と時間と感動を共有することを心がけてほしいのです。例えば、食事中に子供が夢中になっている趣味の話を聞いたらこう言ってみてください。「それ楽しそうだね~! 今度お父さんも一緒にやってみようかな~。お父さんが君くらいの時にはよくプラモデルを作ったり、ゴム動力の模型飛行機を作って飛ばしたりしたな~」と。すると子供はすぐに反応して「え! お父さんも一緒にやってくれるの?! 」とか「え! 模型飛行機って、僕も作って飛ばしてみたい!!!」といって心をはずませることでしょう。そうしたら「次の週末に一緒にやってみようか?!」と言ってあげるんです。家族で食事を共にすることは、食卓での楽しい会話にとどだけでなく、親子のさらなる時間と感動の共有へと発展していくのです。こうしたことを通して親子関係が豊かに築かれ、その結果として子供に親の愛が伝わっていくのです。子供は親が自分のために時間を割いてくれることで、他でもない大きな愛を感じ取るものなのです。とかく何でも便利に時間をかけずにすませる昨今ですが、時代がどう変化しようと人間の本質は変わることがありません。良い子育てを願うなら、子供の心のニーズを満たすことによって、いわば心の土台作りをすることがどうしても必要なのです。
さて次回の予告ですが、いつの時代でも子育てには時間と労力と犠牲が必要ですが、子育てはそうするだけの価値がある素晴らしいプロジェクトだということについてお話ししたいと思います。
(続く)