子育てには時間と労力と犠牲が必要です!

今日は6月23日
北海道を除き、うっとおしい季節が続いておりますが、皆さんお元気ですか? 今日は6月23日

北海道を除き、うっとおしい季節が続いておりますが、皆さんお元気ですか?

この6月はほとんど東京都町田市南町田の自宅にいて番組関係の仕事に励んでおりますが、、、とにかく毎日蒸し暑いです!

昨日6月20日には、東京都品川区のあけぼの幼稚園の父母会主催の行事で講演会をしてきましたが、ジャケットを着て90分近くお話しすると下着もシャツもじっとりという状況で、帰宅すると1日のエネルギーを全て使い切った感じで、しばらくは放心状態でした。北海道民には理解できないかと思いますが、、、、。(笑)

さて、前回の子育てシリーズを書いてから、気にはなりつつもあっという間に一ヶ月半が過ぎてしまいました(゚o゚;;今日こそは続きを書かねばということで、パソコンの前に座りました。

シリーズ/この時代の子育てについて(第4回)

明治時代の有名な小説家である二葉亭四迷は、I love you.という英語を「あなたのために死んでも良い」と意訳しました。私は名訳中の名訳だと思います。
新聞を見ていたら、読者の悩み相談のコーナーで、ある30代の父親が、次のように問いかけていました。「子育というのは、コスパが悪いんでしょうか?」と。三人の子供を育てているその父親は、「子育が大変で、睡眠不足で疲労もたまるし、それが原因で夫婦喧嘩も増えるし、それに大きくなって反抗的になったり、引きこもったりする可能性もあるわけで、そう考えると子育てはコスパが悪い、つまり割に合わないのではないか?と考えたようです。まー、私としては「子育を”コスパ”という観点で考えるなんて」と大いに違和感を覚えたわけですが、このように考える人たちの数は、今やどんどん増加しているというのです。いえ、そもそもそれ以前に、結婚することも色々な犠牲や束縛を伴うから、しないほうが良いと考える人たちが増えて来ているというのです。きっと、私以上の世代の皆さんは、「若い者たちはいったい何を考えてるんだ!」と言いたくなることでしょう。

でも、今の若者たちがそんな風に考えてしまうのは、実は、彼らのせいでありません。それは、今の時代の物質的な豊かさと、彼らを育てた親の子育ての仕方に大きく影響されているからです。残念ながら多くの人々が、昔と比べて、他の人のために何かをすることの喜びをあまり経験することなく大人になっていると思うのです。

例えば、私が小さい頃は、今よりずっと貧しい生活をし、便利な家電もほとんどありませんでした。だから子供たちだって、家族の一員として、何かとお手伝いをさせらました。そして、それを親や周りの大人たちから褒められたり励まされたりすることを通して、自分の時間や能力を用いて人の役に立つことの大切さや喜びを覚えていったのです。でも、今の時代、子供たちの多くは、ある程度勉強さえしていれば、あとは、ゲームをしようと何をしようと自分の勝手なのです。ただ自分のことだけをして、人のために何かをすることの喜びを経験することなしに大人になってしまうのです。結果として、極端に個人主義的で自己中心的な生き方を良しとしてしまうわけです。そうなると、大人になって「一体、自分はなぜ子どものために犠牲を払ってま頑張らなきゃいけないんだ? そうするだけの価値や見返りがあるんだろうか? 子育てはコスパが悪いんじゃないだろうか?」と悩むことになるのです。

そんな時代ですが、あえて私は「子育てには愛と時間と労力の犠牲が必要です!」と言わせていただきます。つまり、心を掛け、時間を掛け、手を掛けるということです。ただし、そうするだけの価値は充分あるし、そうすることが子供にとっても親にとっても最高の幸せにつながると断言します。なぜなら、時代が変わってどのような社会になろうと、人間の本質は変わることがないからです。人は「自分の幸せだけを追求しようとすると、決して幸せをつかみ取ることができず、他の人の幸せのために生きようとすると究極の幸せを得ることができる」のです。そのように神様に作られているからです。そのことを納得していただくために、いくつかの具体例をご紹介しましょう。

例えば、幼いお子さんが、誤って川に落ちて流されたとしましょう。一緒にいた母親は泳ぎが苦手です。しかも、周囲には彼女以外誰もいません。その場合、彼女はどうするでしょうか。ただ叫びながら何もせずに見ているでしょうか。それとも金槌でも、思わず飛び込んで助けようとするでしょうか。きっと、自分の命がどうなろうとすぐに飛び込むことでしょう。さて、この親の行為はコスパという観点からしてどうなのでしょうか。そんな風に考えることに、ほとんどの人が違和感を覚えることでしょう。なぜなら、これは愛に基づく行為であって、愛はコスパでは測れないものだからです。

冒頭ご紹介した二葉亭四迷の I love you. の訳ですが、現代なら「あなたを愛してます」と訳すのが一般的でしょう。でも当時の日本では、そもそも「愛」という言葉をあまり口にしなかったし、愛の定義も今とは違っていました。そんな時代に、二葉亭四迷は悩んだあげく「あなたのために死んでも良い」と意訳したのです。これは名訳中の名訳だと私は思います。なぜなら究極の愛とはそのようなものだからです。人が他の人のために自分の命さえ差し出すことをいとわない、そのような気持ちと行動を真実の愛と言うべきだからです。そして子供を助けるために命がけで川に飛び込む若い母親を見て、子供のために命を捨てるとしたら、勿体ないとかコスパが悪いなどど考える人は滅多にいないでしょう。そのような愛を子供を育てる親ならばほとんどの人が本来普通に持ち合わせているからです。ただし、そんな究極の愛を子供に伝えるために、親たちはありふれた日常生活の中で一体どうしたらよいのでしょうか。

以前、ある40代の男性が、自分の父親との思い出をこんな風にメールで書き送ってくださいました。 「私の父は、口数が少なくて、楽しい会話を交わすということはほとんどありませんでした。そんな父でしたが、小さい頃はよく遊んでくれました。毎年、夏休みが来ると父はこう言ってくれました。「明日の朝、カブトムシを捕りに行こう!」 私が、ニコッとすると「早起きできるか? 4時には家を出るから今夜は早く寝るんだぞ」と。
家から車で20分くらいのところに、クヌギ林がありました。まだ薄暗い林の中を懐中電灯を持って進みました。目的の木が近づいてくると、腐った柿のような樹液の独特な匂いがしてきました。
木の幹には、カナブン、クワガタ、カミキリ虫、お目当てのカブトムシ、そしてスズメバチがうごめいていました。父と私はスズメバチが飛び去るのを息を潜めて待ちました。その時の僕が、どれほど興奮していたことか。父も横にいて一緒に目を輝かせていました。
帰宅するのは6時頃で、父はそれから会社に出かけて行きました。あの頃の自分には、睡眠を削って虫取りに付き合ってくれる父がどんなに凄いか、まだ本当には分かっていませんでした。でも、いま大人になって、父との思い出を振り返る時、それは何よりも輝いています。そして、親としてそれがどれほど意味のあることかを教えられます。親子が夢中になって楽しい時間を過ごすこと、口数が少ない父でも本気で向き合ってくれたことで、どんなに幸せな子供時代を送れたことか。
自分が子供を育てる立場になった今、父がしてくれたことは何よりも宝物です。私も子供たちに同じようにしてあげたい。子供たちもまた、将来自分の子供たちに同じようにして欲しいと願います。」

いかがでしたか。素晴らしいストーリーでしょう。この若いお父さんは、自分の父親に大きな犠牲を払ってもらったわけですが、その父親は仕方なくそうしてくれたのでしょうか。いえ、愛する我が子のために、そうすることがきっと楽しくとても価値のあることに思えたのでしょう。そして、そのようにしてもらった子供はやがて大人になって幼い頃を振り返り、父親が虫取りに連れて行ってくれたことをいまでも最も輝く思い出として心に刻んでいるのです。それだけではありません。自分もいま子供を育てる親として、自分の子供に犠牲を払うことにワクワクしているのです。さらには、自分の子供たちがやがて親になった時に、彼らがその子どもたちにまた同じようにすることを願っているのです。愛は犠牲をいとわないどころか、犠牲を払うことに大きな喜びが生まれているのです。実は、これが人間の本質です。愛に生きることこそ人の最高の幸せにつながるのです。

さて、多くの方々の心の中に、きっと同じような幼い頃の特別に輝いている思い出があることでしょう。私にもそんな思い出があります。ここで、その中でも特別に輝いている思い出を最後にご紹介しましょう。

私が小学一年生の時、小さなのこぎりで篠竹を切って工作をしていました。私の世代の人ならきっとご存知でしょう。肥後守(ひごのかみ)と呼ばれる折りたたみのナイフを男の子たちはよく使いました。ナイフだけのものもあれば、ナイフと小さな薄いノコギリが一緒に収納されているものもありました。私はそのノコギリを使い、しゃがんで片膝を立てて細い竹を切ろうとしていました。ところが勢い余って自分の膝っこぞうの内側を深く切ってしまったのです。傷口は長さ約6センチ、深さは5ミリくらいで血が吹き出しました。近所の農家には当時すでに車があったので、私と母はそれに乗せていただいて、2キロほど離れた町の外科病院へ行きました。そこで5~6針縫ってもらいました。とても痛い経験でした。でも、その日、病院から家までどのようにして帰ったか、それが今でも鮮明に蘇るいちばん輝ける思い出のひとつになっているのです。あの日、小柄な母は私を病院からずっとおんぶして家まで歩いてくれたのです。幼いながらに、私は申し訳なさでいっぱいでした。そして、何度も母に言いました。「ねー、お母さん、大丈夫? 重くないの? ぼく自分で歩くから下ろしてもいいよ・・・」と。でも、その度に母は「大丈夫よ。心配しなくていいよ!」と言って2キロの道のりを休むことなく歩いて連れ帰ってくれました。今でもその時の傷跡はくっきりと残っています。それを見るたびに、自分がどれほど愛されていたかを感じて、今でも胸が熱くなるのです。

さて、このように書いてきましたが、残念ながら「自分にはそんな輝くような思い出はひとつもない」とおっしゃる方が中にはいらっしゃるかもしれません。実際、私のところに時々寄せられる番組のご意見・ご感想の中には、ごくごく稀なことではありますが(年に一度あるかないか)、私の番組内容に対する反論が寄せられてきます。ある時、そんな意見が届きました。「あなたが番組で話すことに全く共感できないし、自分の子供の頃のことを思い出しても、自分自身の子育てを思い出しても全く共感できない。洗脳的な発言に怒りさえ感じる」という内容でした。その方がなぜ共感できずに怒りさえ感じるのか、具体的な理由が書かれていなかったので私にはよくわかりませんが、もしも、自分自身が幼い頃から今に至るまで親の愛を感じることなく生きて来られたとしたら、確かに私の言うことは絵空事に感じられるかもしれません。また、単なる自慢話をしているように感じて、怒りを覚えるかもしれません。世の中には、自分は親から愛情を受けるどころか虐待を受けて育ったとおっしゃる方もいらっしゃることでしょう。でも、それでは、その時の、辛い思いを自分の子供にもくり返しても良いのでしょうか。そんなはずはないでしょう。そんな悲劇は自分で終止符を打たなければいけないでしょう。自分の過去を変えることは誰にもできません。でも、これからのことは変えていくことができるのです。もちろんそれは簡単なことではないでしょう。でも、真剣に考えてみてほしいと願います。それが、お子さんの幸せのためにどうしても必要だし、自分自身が辛い過去の束縛から解放されるためにも必要だからです。

長くなりました。次回は躾についてお話ししたいと思います。

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