ファミリートークラジオ放送 7月8日~7月12日分 を期間限定で再放送しています

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ラジオ再放送

子育てには時間と労力と犠牲が必要です!

今日は6月23日
北海道を除き、うっとおしい季節が続いておりますが、皆さんお元気ですか? 今日は6月23日

北海道を除き、うっとおしい季節が続いておりますが、皆さんお元気ですか?

この6月はほとんど東京都町田市南町田の自宅にいて番組関係の仕事に励んでおりますが、、、とにかく毎日蒸し暑いです!

昨日6月20日には、東京都品川区のあけぼの幼稚園の父母会主催の行事で講演会をしてきましたが、ジャケットを着て90分近くお話しすると下着もシャツもじっとりという状況で、帰宅すると1日のエネルギーを全て使い切った感じで、しばらくは放心状態でした。北海道民には理解できないかと思いますが、、、、。(笑)

さて、前回の子育てシリーズを書いてから、気にはなりつつもあっという間に一ヶ月半が過ぎてしまいました(゚o゚;; 今日こそは続きを書かねばということで、パソコンの前に座りました。

シリーズ/この時代の子育てについて(第4回)

明治時代の有名な小説家である二葉亭四迷は、I love you.という英語を「あなたのために死んでも良い」と意訳しました。私は名訳中の名訳だと思います。

新聞を見ていたら、読者の悩み相談のコーナーで、ある30代の父親が、次のように問いかけていました。「子育というのは、コスパが悪いんでしょうか?」と。三人の子供を育てているその父親は、「子育が大変で、睡眠不足で疲労もたまるし、それが原因で夫婦喧嘩も増えるし、それに大きくなって反抗的になったり、引きこもったりする可能性もあるわけで、そう考えると子育てはコスパが悪い、つまり割に合わないのではないか?と考えたようです。まー、私としては「子育を”コスパ”という観点で考えるなんて」と大いに違和感を覚えたわけですが、このように考える人たちの数は、今やどんどん増加しているというのです。いえ、そもそもそれ以前に、結婚することも色々な犠牲や束縛を伴うから、しないほうが良いと考える人たちが増えて来ているというのです。きっと、私以上の世代の皆さんは、「若い者たちはいったい何を考えてるんだ!」と言いたくなることでしょう。

でも、今の若者たちがそんな風に考えてしまうのは、実は、彼らのせいでありません。それは、今の時代の物質的な豊かさと、彼らを育てた親の子育ての仕方に大きく影響されているからです。残念ながら多くの人々が、昔と比べて、他の人のために何かをすることの喜びをあまり経験することなく大人になっていると思うのです。

例えば、私が小さい頃は、今よりずっと貧しい生活をし、便利な家電もほとんどありませんでした。だから子供たちだって、家族の一員として、何かとお手伝いをさせらました。そして、それを親や周りの大人たちから褒められたり励まされたりすることを通して、自分の時間や能力を用いて人の役に立つことの大切さや喜びを覚えていったのです。でも、今の時代、子供たちの多くは、ある程度勉強さえしていれば、あとは、ゲームをしようと何をしようと自分の勝手なのです。ただ自分のことだけをして、人のために何かをすることの喜びを経験することなしに大人になってしまうのです。結果として、極端に個人主義的で自己中心的な生き方を良しとしてしまうわけです。そうなると、大人になって「一体、自分はなぜ子どものために犠牲を払ってま頑張らなきゃいけないんだ? そうするだけの価値や見返りがあるんだろうか? 子育てはコスパが悪いんじゃないだろうか?」と悩むことになるのです。

そんな時代ですが、あえて私は「子育てには愛と時間と労力の犠牲が必要です!」と言わせていただきます。つまり、心を掛け、時間を掛け、手を掛けるということです。ただし、そうするだけの価値は充分あるし、そうすることが子供にとっても親にとっても最高の幸せにつながると断言します。なぜなら、時代が変わってどのような社会になろうと、人間の本質は変わることがないからです。人は「自分の幸せだけを追求しようとすると、決して幸せをつかみ取ることができず、他の人の幸せのために生きようとすると究極の幸せを得ることができる」のです。そのように神様に作られているからです。そのことを納得していただくために、いくつかの具体例をご紹介しましょう。

例えば、幼いお子さんが、誤って川に落ちて流されたとしましょう。一緒にいた母親は泳ぎが苦手です。しかも、周囲には彼女以外誰もいません。その場合、彼女はどうするでしょうか。ただ叫びながら何もせずに見ているでしょうか。それとも金槌でも、思わず飛び込んで助けようとするでしょうか。きっと、自分の命がどうなろうとすぐに飛び込むことでしょう。さて、この親の行為はコスパという観点からしてどうなのでしょうか。そんな風に考えることに、ほとんどの人が違和感を覚えることでしょう。なぜなら、これは愛に基づく行為であって、愛はコスパでは測れないものだからです。

冒頭ご紹介した二葉亭四迷の I love you. の訳ですが、現代なら「あなたを愛してます」と訳すのが一般的でしょう。でも当時の日本では、そもそも「愛」という言葉をあまり口にしなかったし、愛の定義も今とは違っていました。そんな時代に、二葉亭四迷は悩んだあげく「あなたのために死んでも良い」と意訳したのです。これは名訳中の名訳だと私は思います。なぜなら究極の愛とはそのようなものだからです。人が他の人のために自分の命さえ差し出すことをいとわない、そのような気持ちと行動を真実の愛と言うべきだからです。そして子供を助けるために命がけで川に飛び込む若い母親を見て、子供のために命を捨てるとしたら、勿体ないとかコスパが悪いなどど考える人は滅多にいないでしょう。そのような愛を子供を育てる親ならばほとんどの人が本来普通に持ち合わせているからです。ただし、そんな究極の愛を子供に伝えるために、親たちはありふれた日常生活の中で一体どうしたらよいのでしょうか。

以前、ある40代の男性が、自分の父親との思い出をこんな風にメールで書き送ってくださいました。 「私の父は、口数が少なくて、楽しい会話を交わすということはほとんどありませんでした。そんな父でしたが、小さい頃はよく遊んでくれました。毎年、夏休みが来ると父はこう言ってくれました。「明日の朝、カブトムシを捕りに行こう!」 私が、ニコッとすると「早起きできるか? 4時には家を出るから今夜は早く寝るんだぞ」と。
家から車で20分くらいのところに、クヌギ林がありました。まだ薄暗い林の中を懐中電灯を持って進みました。目的の木が近づいてくると、腐った柿のような樹液の独特な匂いがしてきました。
木の幹には、カナブン、クワガタ、カミキリ虫、お目当てのカブトムシ、そしてスズメバチがうごめいていました。父と私はスズメバチが飛び去るのを息を潜めて待ちました。その時の僕が、どれほど興奮していたことか。父も横にいて一緒に目を輝かせていました。
帰宅するのは6時頃で、父はそれから会社に出かけて行きました。あの頃の自分には、睡眠を削って虫取りに付き合ってくれる父がどんなに凄いか、まだ本当には分かっていませんでした。でも、いま大人になって、父との思い出を振り返る時、それは何よりも輝いています。そして、親としてそれがどれほど意味のあることかを教えられます。親子が夢中になって楽しい時間を過ごすこと、口数が少ない父でも本気で向き合ってくれたことで、どんなに幸せな子供時代を送れたことか。
自分が子供を育てる立場になった今、父がしてくれたことは何よりも宝物です。私も子供たちに同じようにしてあげたい。子供たちもまた、将来自分の子供たちに同じようにして欲しいと願います。」

いかがでしたか。素晴らしいストーリーでしょう。この若いお父さんは、自分の父親に大きな犠牲を払ってもらったわけですが、その父親は仕方なくそうしてくれたのでしょうか。いえ、愛する我が子のために、そうすることがきっと楽しくとても価値のあることに思えたのでしょう。そして、そのようにしてもらった子供はやがて大人になって幼い頃を振り返り、父親が虫取りに連れて行ってくれたことをいまでも最も輝く思い出として心に刻んでいるのです。それだけではありません。自分もいま子供を育てる親として、自分の子供に犠牲を払うことにワクワクしているのです。さらには、自分の子供たちがやがて親になった時に、彼らがその子どもたちにまた同じようにすることを願っているのです。愛は犠牲をいとわないどころか、犠牲を払うことに大きな喜びが生まれているのです。実は、これが人間の本質です。愛に生きることこそ人の最高の幸せにつながるのです。

さて、多くの方々の心の中に、きっと同じような幼い頃の特別に輝いている思い出があることでしょう。私にもそんな思い出があります。ここで、その中でも特別に輝いている思い出を最後にご紹介しましょう。

私が小学一年生の時、小さなのこぎりで篠竹を切って工作をしていました。私の世代の人ならきっとご存知でしょう。肥後守(ひごのかみ)と呼ばれる折りたたみのナイフを男の子たちはよく使いました。ナイフだけのものもあれば、ナイフと小さな薄いノコギリが一緒に収納されているものもありました。私はそのノコギリを使い、しゃがんで片膝を立てて細い竹を切ろうとしていました。ところが勢い余って自分の膝っこぞうの内側を深く切ってしまったのです。傷口は長さ約6センチ、深さは5ミリくらいで血が吹き出しました。近所の農家には当時すでに車があったので、私と母はそれに乗せていただいて、2キロほど離れた町の外科病院へ行きました。そこで5~6針縫ってもらいました。とても痛い経験でした。でも、その日、病院から家までどのようにして帰ったか、それが今でも鮮明に蘇るいちばん輝ける思い出のひとつになっているのです。あの日、小柄な母は私を病院からずっとおんぶして家まで歩いてくれたのです。幼いながらに、私は申し訳なさでいっぱいでした。そして、何度も母に言いました。「ねー、お母さん、大丈夫? 重くないの? ぼく自分で歩くから下ろしてもいいよ・・・」と。でも、その度に母は「大丈夫よ。心配しなくていいよ!」と言って2キロの道のりを休むことなく歩いて連れ帰ってくれました。今でもその時の傷跡はくっきりと残っています。それを見るたびに、自分がどれほど愛されていたかを感じて、今でも胸が熱くなるのです。

さて、このように書いてきましたが、残念ながら「自分にはそんな輝くような思い出はひとつもない」とおっしゃる方が中にはいらっしゃるかもしれません。実際、私のところに時々寄せられる番組のご意見・ご感想の中には、ごくごく稀なことではありますが(年に一度あるかないか)、私の番組内容に対する反論が寄せられてきます。ある時、そんな意見が届きました。「あなたが番組で話すことに全く共感できないし、自分の子供の頃のことを思い出しても、自分自身の子育てを思い出しても全く共感できない。洗脳的な発言に怒りさえ感じる」という内容でした。その方がなぜ共感できずに怒りさえ感じるのか、具体的な理由が書かれていなかったので私にはよくわかりませんが、もしも、自分自身が幼い頃から今に至るまで親の愛を感じることなく生きて来られたとしたら、確かに私の言うことは絵空事に感じられるかもしれません。また、単なる自慢話をしているように感じて、怒りを覚えるかもしれません。世の中には、自分は親から愛情を受けるどころか虐待を受けて育ったとおっしゃる方もいらっしゃることでしょう。でも、それでは、その時の、辛い思いを自分の子供にもくり返しても良いのでしょうか。そんなはずはないでしょう。そんな悲劇は自分で終止符を打たなければいけないでしょう。自分の過去を変えることは誰にもできません。でも、これからのことは変えていくことができるのです。もちろんそれは簡単なことではないでしょう。でも、真剣に考えてみてほしいと願います。それが、お子さんの幸せのためにどうしても必要だし、自分自身が辛い過去の束縛から解放されるためにも必要だからです。

長くなりました。次回は躾についてお話ししたいと思います。

うっとおしい季節

今日は6月21日(金)、季節はうっとおしい梅雨のど真ん中です。

雨は必要なのですが、私はこの季節の湿度の高さが大の苦手です。というのも私は多少喘息気味で、気温が高く湿気の多いこの季節は、目には見えないカビの胞子がいたるところで飛び交っておりまして、そのカビっぽい空気を吸い込むと咳が止まらなくなってしまうのです。

番組を収録しようとしても、講演会で話をしていても、趣味で歌を歌っていても、カビは容赦してくれません。私は精度の高い「カビ探知機」のようなもので、カビのレベルが高いところでは他の人が気づかなくてもすぐに検知できます。それが警戒レベルであれば、咳と鼻水による警報でお知らせしてくれるのです。冗談はさておき、これは私にとって大問題です。

先日は講演会のために沖縄に行きましたが、レンタカーに乗った途端、警報が流れました。実は、どんなに新しい車でもエアコンの内部には結露が生じますから、そこにはあっという間にカビが繁殖してしまい、エンジンをかけてエヤコンをオンにした途端に、室内にはカビの胞子が吹き出してくるわけです。また、ホテルに到着して車から部屋に移っても、問題はすぐに再発します。私が沖縄に到着したその日の湿度は大雨の直後であった為になんと96%でした。梅雨時の沖縄のホテルの部屋は、お客さんがいないときは締め切っているわけですからまるで温室状態で、ベッドやカーペットなどがまさにカビの温床となるわけです。部屋に入ったらいきなり人間カビ警報がまた鳴り出しました。しかも、エアコンを付ければ、さらに内部のカビの胞子が部屋中に充満するわけです。そんなわけで、この季節の訪沖は覚悟が必要です! それでも、やはり大好きな沖縄のリスナーの皆さんにどうしても会いたくて、今回も14日〜17日にかけて3泊4日で行ってまいりました😃

この度の沖縄出張では、まず土曜日の午前中に、いつもお世話になっているラジオ沖縄(ROKラジオ)の「Oyakoらじお/土曜日7:30〜10:45」というワイド番組に40分近くも生出演させていただきました。この番組は、私の大好きな番組ですが、名前のとおり親子で楽しめる素晴らしい番組です。出演者(パーソナリティー)のベンビーさん、美由紀さん、じゅぴのりさんの軽妙な掛け合いで進行し、番組中にリスナーのお子さんたちと電話でおしゃべりしたり、次々に寄せられてくるメールの反応を紹介したり、お笑い芸人であるベンビーさんによる心温まる絵本の読み聞かせのコーナーがあったり、はたまた3人が歌詞を見て即興でコントを展開する曲当てコーナーがあったりと実にバラエティーに富んでおりまして、3時間15分という長い時間がもあっという過ぎ去ってしまいます。沖縄に行く度に私はこの番組にお招きいただいておりまして、なんと今や「準レギュラー」の異名までいただいております。(笑) そんな、素敵な番組に出演して、今回も次々に寄せられてくる私宛の子育ての質問にひとつひとつお応えさせていただきました。もしも、radiko(ネットのラジオ番組配信アプリ)のエリアフリー版を契約されておられる方は、日本のどこでもラジオ沖縄の放送を聞くことができますので、次回の出演時にはホームページで告知いたしますから是非お聞きください。

Oyakoらじお (左から じゅぴのりさん 美由紀さん ベンビーさん)

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一方、リスナー向けの講演会は、那覇市首里の沖縄県総合福祉センターのゆいホールとうるま市の健康福祉センター・うるみんのホールの2カ所で講演会を開催しました。お集まりいただいた参加者の皆様にはここで改めてお礼申し上げます。また当日は時々咳をしてしまいましたが、それでも暖かく見守ってくださったことに心から感謝いたします。

うるま市・健康福祉センター/うるみんホールにて

うるみん1 うるみん2

家族で食事を共にすることは・・・

今日は5月9日(木)。前回は平成最後のブログでしたが、今回は令和最初のブログです。、、、と私のiMacで「れいわ」と入力すると、ソフト内の辞書に令和がまだ登録されていないらしく、「例話」とか「0話」とか出てきて「令和」は出てきませんでした。とても面倒なことなので、たった今「令和」を辞書登録しました!(笑) 

改めまして、皆さん、ゴールデンウィークはいかがでしたか? 世の中、10連休が大いに話題になりましたが、私の場合は決してゴールデンな日々ではなく、毎日いつもどおりに仕事をして過ごしました。特に、日頃後回しになっていた仕事の処理で、かえって忙しかったくらいです。そんなわけで、連休が明けて少しホッとしているとこです。

さて、去る4月8日に「シリーズ/この時代の子育てについて」をスタートしまして、今回はその第3回目を書こうと思います。最初にお話ししたように、今の子育てを語るには過去との違いについて、特に若い親御さんたちには知っていただく必要を感じますので、今日も昔にさかのぼって、まるで自叙伝を書くような気持ちで書きますが、それも含めてどうぞお読みください。

 

シリーズ/この時代の子育てについて(第3回)

私が子供だった頃、日本はいわゆる高度成長期の真っ只中でした。働けば働くだけ生活が豊かになる時代で、夢や希望であふれていました。そんなわけで親たちは家族のより良い暮らしのために毎日忙しく働いていました。当時はまだ週休二日制などという労働環境は耳にしたこともなく、ほとんどの人にとって休みは日曜日だけでした。それでも今と比べたら子供は自分の親を今よりもっと身近に感じていたと思います。その一番大きな理由のひとつは、家族で一緒に食事をする回数の多さでした。特に夕食について言うなら、どこの家庭も毎日同じ時間がくると家族全員が食卓についたものです。私の家では夜7時でした。時々、母がうっかり炊飯器のスイッチを入れ忘れて大幅に遅れるということもありましたが、それは特別な例外でした。

食事が始まれば、かならず会話が生まれます。それぞれ1日の話をして盛り上がり、子供たちは両親の会話から親の知恵や価値観を吸収し、仕事や大人社会の難しさを学んだりもしました。親たちは、子供たちの状況をそこで知ることができました。友達とうまくいっているか、授業にはついていけているか、今どんな趣味に夢中になっているか等々、いろいろなことが家族が食卓を囲むことで得られたわけです。また、別の角度から見れば、こうした家族の団欒をとおして、子供たちは親の愛情を吸収し、親子関係が深められて行ったのです。そして、自分を愛し期待してくれている親に対して「その思いに応えなければいけない」という気持ちを抱いたものです。でも、今の時代、家族で食事を共にする機会がどんどん減少してきているのです。なぜでしょうか。それは、同じ時間に食事をすることを妨げるものがこの時代にはあふれるようになったからです。

想像してみてください。ある家庭で、現代のお母さんが、子供部屋のドアの前でこう言います。「ご飯できたから出ておいで~」と。すると中から声がします。「え~! だってまだいいところなんだもん!」子供はゲームやスマホに夢中です。仕方なくお母さんはまたしばらくしてから声をかけますが、返事は同じで「まだいいところ」です。お母さんがせっかく料理を作ったのに、このままでは冷めてしまいます。すると、部屋の中からまた声がします。「いいよ、まだお腹空いてないし、あとで自分でチンして食べるから!」

これは、子供に限ったことではあません。もしかしたらお父さんは残業で遅く帰ってくるかもしれないし、お母さんも共働きで、子供の夕食の時間には戻れないかもしれません。そうなると子供だけでお母さんが用意しておいたものをチンして食べたり、もしかしたらお金をもらってコンビニで買ったものを食べたりするのかもしれません。それだけではありません。仮に家族が同じ時間に食卓についたとしても、会話らしい会話が生まれないケースも珍しくなくなってきました。家族の団欒をスマホの着信音が台無しにしてしまうからです。最近は幼い子供たちへのスマホの普及率が驚くほど高まってきています。「食事中くらいやめなさい!」と言ってもなかなか言うことをきかないし、第一、指導するはずの親たちが食卓でラインのやり取りに夢中になる家庭も増えているのです。当然の結果として、親子の会話は減少し、親子関係は貧しくなり、子供たちは親の愛や価値観を吸収する機会をどんどん失ってしまうのです。それは、子供の心に必ず悪影響を与えます。

児童発達心理学者であり、私の番組の元になったファミリーコラムという番組の話し手でもあったDr.ドブソンは「週に5回以上、家族で食事を共にする家庭はそれ未満の家庭と比べて、子供が非行に走る割合が極端に少ない」という調査結果についてしばしば言及されました。たかが食事と思われますか? いえ、食事は人間関係を豊かにするために欠かせないのです。例えば、ラブラブの男女はしょっちゅう食事を共にします。会社でも社員同士が食事を共にしたり、一緒に飲みに行ったりします。ママ友たちもお茶やランチを共にしたりします。それは、すべて人間関係を豊かにし、維持するために大きな力を発揮することを知っているからです。また、そうすることで幸せな気持ちになれるからです。だとしたら、家族だって親子だって同じことが言えるのです。食事を共にすることで家族の絆が強められ、幸せな気持ちに包まれ、子供たちは成長に必要な愛情や知恵を親から吸収していくのです。そうなれば非行が起こりにくくなるのは当然の結果です。

残念なことに、かつては「子供は親の背中を見て育つ」と言われた時代がありましたが、今や親の姿を見る代わりにゲームやスマホの画面を見て育つ時代になっているのです。こうなると「教えているのは誰ですか」という問題が出てきます。それは親ではなく電子機器の画面だということができるでしょう。そして、さらに深刻なのは、画面を通して教えられる中身です。一体それは、親の愛情があふれるものでしょうか。倫理的に望ましいものでしょうか。子供たちの心を励まし、自分の持って生まれた能力を努力して伸ばしていくように教え、人を思いやる心を育て、他の人に役に立ち、世の中に貢献するような人へと成長させてくれるものでしょうか。残念ながら、特に多くの男の子たちが夢中になるゲームのほとんどは、敵を倒すことを教えるものばかりです。

こういう時代ですから、若いお父さんお母さんたちには、何もせずに時代に流されるのではなく、積極的に子供と時間と感動を共有することを心がけてほしいのです。例えば、食事中に子供が夢中になっている趣味の話を聞いたらこう言ってみてください。「それ楽しそうだね~! 今度お父さんも一緒にやってみようかな~。お父さんが君くらいの時にはよくプラモデルを作ったり、ゴム動力の模型飛行機を作って飛ばしたりしたな~」と。すると子供はすぐに反応して「え! お父さんも一緒にやってくれるの?! 」とか「え! 模型飛行機って、僕も作って飛ばしてみたい!!!」といって心をはずませることでしょう。そうしたら「次の週末に一緒にやってみようか?!」と言ってあげるんです。家族で食事を共にすることは、食卓での楽しい会話にとどだけでなく、親子のさらなる時間と感動の共有へと発展していくのです。こうしたことを通して親子関係が豊かに築かれ、その結果として子供に親の愛が伝わっていくのです。子供は親が自分のために時間を割いてくれることで、他でもない大きな愛を感じ取るものなのです。とかく何でも便利に時間をかけずにすませる昨今ですが、時代がどう変化しようと人間の本質は変わることがありません。良い子育てを願うなら、子供の心のニーズを満たすことによって、いわば心の土台作りをすることがどうしても必要なのです。

さて次回の予告ですが、いつの時代でも子育てには時間と労力と犠牲が必要ですが、子育てはそうするだけの価値がある素晴らしいプロジェクトだということについてお話ししたいと思います。

(続く)

私が育った時代

今日は4月27日(土)。昨日、3週間ぶりに東京都町田市の自宅に戻ってきました。あと数日で平成が終わろうとしています。世の中「平成最後の・・・」というフレーズが大流行りですが、いま書いているのは「平成最後の私のブログ」になるのかもしれません!(笑)

さて、前回のブログで「この時代の子育てについて」というシリーズをスタートさせました。今回はその2回目になりますが、この時代の子育てについて語るためには、私たちをとりまく環境や社会が、今と昔ではが何がどのように違ってきているかを比較してみる必要があると私は考えます。

シリーズ/この時代の子育てについて(第2回)

私は、昭和31年(1956年)に生まれたので、5月1日まであと数日生きているなら昭和、平成、令和の3つの時代を股にかけることになるわけです。実に感無量です! とりわけ子供の頃を過ごした昭和の時代は、私にとって特別に思い出深いものがあります。私が生まれた昭和31年といえば、なんとまだ太平洋戦争が終わってから11年しかたっていませんでした。そのため戦争のことを語る人々が周りにはたくさんいました。両親からは戦争中の食糧難のことを何度も聞かされました。学校でも戦争のことを授業中によく聞かされました。家の近所を歩くと、地層がむき出しになっている崖には防空壕がまだいくつも残っていて、真っ暗で不気味な入り口が開いたままになっていました。幼い私は怖くて一度も中に入ることをしませんでしたが、戦争中は空襲警報が鳴り響くと人々がみんなその中に逃げ込んだことを聞かされました。

私が生まれたのは横浜の中心地から20キロも内陸に入り込んだ小さな町でした。国鉄(いまのJR)横浜線の中山駅が最寄駅で、私の記憶では時々黒い煙を吐く蒸気機関車が停車していました。それでも戦後の復興の速度は驚異的で、横浜の中心地である横浜駅周辺にはデパートや洒落たお店が次々にオープンしていきました。休日にもなると多くの人々が行楽気分でショッピングに繰り出しました。我が家もその例外ではなく、給料日直後の日曜日には家族そろってよく横浜駅に出かけました。

横浜駅は西口と東口がうす暗い地下道つながっていて、そこを通り抜けるときには、戦争で足や腕を失った元兵隊さんが壁を背にして地ベタに座り込み、小銭を施してもらうために空き箱を前に置いてハーモニカを吹いたりアコーディオンを弾いたりする姿をよく目にしました。ショッピング客の往来で活気溢れる横浜で、一日中冷たいコンクリートの地ベタに座って物乞いをしている人の過酷な生活を思うとき、子供ながらにとてもいたたまれない気持ちになったものです。でも、暗い地下道を抜けて外に出ると私はそれをすっかり忘れて期待で胸が高鳴りました。親のショッピングについて来ても特に何か買ってもらえる訳ではありませんでしたが、そこには特別な楽しみが待っていたからです。当時、そのデパートの屋上にはなんと小さな動物園があったのです。しかも、買い物が終わって家に帰る前には、店内の洒落たレストランに入って軽食を食べるのが我が家の習慣でした。わたしは、決まってホットケーキ(パンケーキ)を頼みました。3段重ねのホットケーキの上に白いクリームが乗っていて、さらにそのクリームに囲まれた真っ赤な缶詰のさくらんぼ、そして真ん中にはつま楊枝で作った小さな日の丸の旗が刺さっていました!  そんなことが、何よりも楽しかった時代でした。

戦後間もない時代、家庭にはテレビもまだなかったような時代に私は生まれました。親たちは一生懸命働いて、少しでも豊か生活を夢見ました。やがて次々に便利な家電が一般家庭にも備わっていきました。ただし、今とは違い、例えば洗濯機ひとつとってみても、当時は洗濯物をただモーターの回転で渦を作って洗うのみで、洗った洗濯物は洗濯機にの上部に取り付けられたゴム製の2本のローラーの間にはさみ込み、横のハンドルを手で回してローラーを回転させることで水をしぼられて板状にのされた洗濯物が出てきて下のカゴの中に落ちるという極めて原始的な機械でした。それでも、洗濯物を一枚ずつ洗濯板で洗っていた時代からすれば、主婦たちにとってどれほど大きな助けになったことか。当時の人たちはそうした新しい家電が出るたびに、一生懸命働いて買い揃えていったのです。

さて、世の中がどんどん豊かになり急速に便利になっていく時代でしたが、それでも今とは比較にならないほど何をするにも時間と労力がかかりました。だから、親たちは子供たちにも家族の一員として様々なお手伝いをさせました。遊びたいさかりの子供たちにとって、それは決して嬉しいことではありませんでしたが、しかしお手伝いをさせられることで、いろいろな技術を習得し、忍耐力や責任感を養われ、やがて自立していくために必要な能力を身につけることにつながりました。さらに、親に褒められたり頼りにされたりすることを通して、人のために働くことの素晴らしさを経験しました。その経験を積み重ねていくことで、やがて自分の持って生まれた個性や能力に磨きをかけて、将来どんな職業について人のために貢献していくことができるだろうかと考えるように導かれたのです。

でも、今の時代はどうでしょうか。家の中はあまりにも便利なもので溢れています。親たちは、わざわざ子供の手を借りなくてもすむようになりました。いえ、子供にお手伝いをさせるには、まず時間をかけてやり方を教えなければなりませんから、そんな面倒なことをしない方が手間が省けるでしょう。そんなわけですから、子供たちがお手伝いをする機会はすっかり失われてしまいました。実は、それが子供の成長にとっては大きなマイナス要因になるということを、今の若いお父さんお母さんたちは恐らく気づかずにおられることでしょう。(続く)

●子育てをするのは誰ですか?

今日は、4月8日(月)。北海道千歳市のアパート(事務所)でこのブログを書いています。

私の番組「金子耕弐のファミリートーク」はこの4月でなんと13年目に入りました! 思えばずいぶん長く続いてきたものです。でも、まだまだ頑張りますので、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。

さて、ご存知のように番組は月曜〜金曜まで毎日とはいえ、とても短いので、この時代の子育ての問題について番組内で充分に話せないことも多々あります。また、賛否両論の激しいデリケートなテーマについてお話しするときは、いくら言葉を選んでうまくまとめようとしても、充分理解していただくことができずに、リスナーの皆様のご気分を害してしまうケースも出てきます。例えば、いま日本では、諸外国に習って体罰を法律で全面的に禁止しようとする動きが出てきていますが、体罰の是非については、短い番組の中で話そうとするとあまりにも時間が短すぎて、いくら子育ての大事なテーマではあってもなかなかお話しできないのが現実です。そこで、日頃なかなか番組ではお話しできないことについて、時々、間を起きながらも、このブロク上でシリーズで書かせていただこうと考えました。もちろん、いくら時間の枠にとらわれないブログであっても、極力ことばを選んでダラダラしたものにならないように心がけたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。また、ブログの内容についてのご意見ご感想がありましたらどうぞメールでお寄せください。

ffjkaneko@gmail.com

 

シリーズ/この時代の子育てについて(第1回)

今、この国の政治家の方々の多くが、子育て支援に力を入れています。これについて考えるとき、親が子育てをしやすい環境を整えるための政策であるなら、私は大賛成です。でも、今の子育て支援政策にはどうも首をかしげたくなる部分が多いのです。何よりその動機が気になるのです。つまり、親が働きやすくなり、その結果、家庭の生活水準が向上し、欲しいものが手に入ったり、趣味や自己実現のためにもっとお金や時間を使えるようになると考えているように思えてならないのです。さらに、多くの政治家の皆さんはこうした世論に敏感に応えると同時に、親たちを働きやすくすることによって、労働力不足を解消し、国の経済を立て直すことができるとも考えているのでしょう。

「そうした考え方のどこが悪いのか」と言われる方が大勢いらっしゃるかと思いますが、今の子育て政策が育てられる側、即ち幼い子供たちの立場に立って考えてみた場合、それがどういう意味を持ち、どういう結果をもたらすかについては、深い考察や調査がまるで抜け落ちていると私には思えるのです。つまり、生まれたばかりの子供たちが、時代や社会がどんなに変わろうと、絶対的に必要としている「親」という存在を、特に母親の存在を、この政策がどんどん遠ざける結果になってはいないか、もう一度深く考えてみる必要があると思うのです。もしかしたら、この政策が、国の経済や親たちの都合にとっては有難いものではあっても、子供たちにとってはマイナスにはならないだろうかと考えてみることが、子供を本当に愛する親たちにとってぜひとも必要だと思うのです。

●子育てをするのは誰ですか?

数年前、沖縄の4つの保育園が合同で私を講演会の講師として招いてくださいました。会が終わると、4人の園長先生方が会食の席を設けてくださいました。その時、私は以前から質問したいと思っていたことを思い切って尋ねてみました。

「このところ、国が子育て支援に力を入れて、保育所をどんどん増設する方向に向かっていますね。いわゆる待機児童がゼロになる社会を目指しているわけです。私は、例えば生活に困窮したシングルマザーが、子育てをしながら生きていくためにはまさに“待ったなし”の状況なわけですから、待機させられたあげく子供も親も共倒れということになっては絶対にいけないと思います。でも、そのような状況ではなく、母親が今までの仕事を辞めたくないからとか、生活水準を落としたくないからなど、別の理由から保育所が必要だと考える親たちも結構多いと思います。それについて、保育園を経営する立場の園長先生方は、日頃どのようにお考えでしょうか。経営的には国が子育て支援に力を入れば入れるほど有難いと状況だと思いますので、かなり難しい質問しているのだと思いますが、いかがでしょうか。」

これに対して、4人の先生方が異口同音に次のような驚くべき回答をしてくださいました。

「子育て支援と言いますが、まずはっきりさせなければいけないのは、子育ては誰がなすべきかということです。当たり前のことですが『親』なんです。でもなぜか最近は、それがわかっていない親たちがどんどん増えてきているんです。例えば私たちは家を建てるなら大工さん、車が故障したら整備士さん、病気になったらお医者さん、とそれぞれの専門分野のプロにお願いするわけですが、それでは、そもそも自分の子供を育てるプロは誰でしょうか。それは他でもないその子の母親、そして父親なんです。それなのに、最近は、私たち保育士が子育ての専門家だと思っている親御さんたちがびっくりするほど多いんです。でもそれは大きな間違いです。どんな時代になっても子育ての主体者は、その子の親であって、私たちはほんの少しそのお手伝いをさせていただいているに過ぎないんです。私たちは子供の母親には足元にも及ばないんです。なぜでしょうか。もともと赤ちゃんは、お母さんのお腹の中で誕生し、お母さんの行動や声を聞きながら生まれてくるんです。だから生まれた後も、その同じお母さんの行動と声を身近に感じながら、優しい腕の中にいるときに、子宮の中にいた時と同じ安心感を感じるし、その過程で親が自分を守ってくれること、大切にしてくれる事を感じ、つまり親の愛を吸収していくんです。この幼い頃の親との一体感、親に対する信頼感と言うものが、その子の後の成長のために、生涯にわたって大きな意味を持つのだと思うんです。」

私はその答えに大きく頷きながら、「私が思っていることと全く同じです!本当にそのとおりですよね!さすが、こうして私をお招きくださった先生方だけのことはありますね!!!(笑)」と冗談を言って楽しい会食の時を過ごさせていただきました。(続く)

趣味について

このブログを書いている今日は3月28日(木)です。1月は行く、2月は逃げる、3月は去るなどと言われますが、ついこの間、新年を迎えたと思ったら3月ももう終わろうとしています!本当にあっという間に月日が飛び去って行くので、毎日を大切に生きていかなければと痛感します。

さて、今日は、趣味の日曜大工(日曜日にするわけではありませんが)について書かせていただきます!

私は、小学生頃、自宅の増改築で大工さんが仕事をする姿を間近に見ました。ちょうど夏休みだったので、朝から夕方まで大工さんのそばにいて、端切れをもらってはノコギリやカナヅチを使って自分も真似事をして過ごしました。そんなわけで、大工仕事は私の数ある趣味の1つになりました。
でも、今は自分のために作るものはこれといってありませんので、この趣味は特別な必要が生じない限りお蔵入り状態です。ところが、このところたて続けに大工仕事の依頼が入りました!(笑)
まず、末の息子夫婦が北海道の美瑛町に5年前から移住して暮らしているのですが、キッチンとリビングの間の壁を一部開口して、対面キッチンにしたいから手を貸して欲しいと言って来ました。現在2歳の男の子が1人いるのですが、料理をしている間、居間で遊んでいる様子を見ることができないので、なんとかしたいということになっわけです。おじいちゃん(私)としては、それはなんとかしてあげないと!ということで、忙しい生活の中でも時間を作り出し、大工仕事に汗を流して来ました。以下がビフォー/アフターです!
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次に、つい最近、長男からも依頼が入りました。彼は今まで働いていた会社を辞めて、住居も移ることになったのですが、東京のど真ん中の狭い賃貸マンションですから、今まで使っていた本棚やテレビ台は形やサイズがどうしても収まりが悪いし、既製品を探してもジャストフィットするものは見つからないと言うので、それなら私に作ってもらおうと考えて連絡して来ました。
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そんなわけで、昨日は文京区の長男の新居でテレビ台と本棚を作ってきました。
そうこうしているうちに3月ももう終わろうとしています。4月2日からは約1カ月間、また北海道で過ごすことになっていますが、リスナー向けの講演会を4月20日(土)に士別市民文化センターで、21日(日)には手稲コミュニティーセンターで予定しておりますので、ご都合がつく方は是非おいでください。